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東京地方裁判所 昭和48年(ワ)7974号 判決

原告

前田弘

被告

互富鉄鋼株式会社

ほか一名

主文

(一)  原告の請求をいずれも棄却する。

(二)  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の申立

一  請求の趣旨

(一)  被告らは各自、原告に対し金一〇〇万円およびこれに対する昭和四七年七月六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  訴訟費用は被告らの負担とする。

(三)  仮執行の宣言を求める。

二  請求の趣旨に対する被告らの答弁

(一)  原告の請求を棄却する。

(二)  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

(一)  事故の発生

昭和四七年七月六日午後一時四〇分頃東京都杉並区阿佐谷南一丁目一五番地先路上において、被告桑原が運転していた普通乗用車(以下「加害車」という。)が、原告所有のプードル犬アデーア・メイフラワー号一頭を轢過して即死させた。

(二)  被告らの責任

1 被告桑原は、訴外前田進一の依頼により加害車を一旦停止させたが、同訴外人が右犬を抱き上げようとした際、突如加害車を発進させて右犬と接触させた。このため、右犬は同被告の進行方向へ向つて走り出したが、このような場合同被告には、前方を注視するのは勿論、徐行ないし一時停止すべき注意義務があるのにこれを怠り、漫然と加害車を進行させた過失により、右犬を轢過したものである。

2 被告互富鉄鋼株式会社(以下「被告会社」という。)は、被告桑原の使用者であるところ、本件事故は、被告桑原が被告会社の業務執行中に前記過失により本件事故を惹起したものである。

(三)  原告の損害

1 犬の価格 金一六万円

原告は、昭和四四年一二月頃生後半年位の本件犬を金一六万円で購入したもので、本件事故当時の価格は、右金額を下まわることはない。

2 逸失利益 金七八万円

本件犬は雌犬であり、事件事故後五年間小犬を出産することができ、これを売却すれば少くとも金七八万円の収入を得ることができたはずである。

3 供養料等 金二万円

原告は、犬が死亡したことにより供養料として金一万五、五〇〇円、雑費として金四、五〇〇円を支払つた。

4 慰謝料 金二〇万円

原告は、本件犬を子供と同様に可愛がり、家族の一員として生活を共にしていたものであり、これを失つた精神的苦痛は大きく、慰謝料としては金二〇万円が相当である。

(四)  結論

原告の損害は合計金一一六万円となるが、本訴においては内金一〇〇万円およびこれに対する本件事故発生の日である昭和四七年七月六日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する被告らの答弁

(一)  請求原因(一)の事実を認める。

(二)  同(二)のうち、被告会社が被告桑原の使用者であり、本件事故は同被告が被告会社の業務執行中に惹起したものであることを認め、その余の事実を否認する。

(三)  同(三)の事実は不知。

第三証拠関係〔略〕

理由

一  事故の発生

請求原因(一)の事実は当事者間に争いがない。

二  被告らの責任

(一)  請求原因(二)のうち、被告会社が被告桑原の使用者であり、本件事故は同被告が被告会社の業務執行中に惹起したものであることは当事者間に争いがない。

(二)  そこで、被告桑原の過失について判断する。

〔証拠略〕によれば(ただし後記措信しない部分を除く。)、次の事実が認められる。

本件事故現場付近の道路状況は、ほぼ別紙現場見取図記載のとおりで、杉並区役所と同区立児童館との間の道路(以下「本件道路」という。)分幅員は四米位である。訴外前田進一(本件事故当時二四才位)は、本件事故当日、体長三〇ないし四〇糎、高さ二五糎位のプードル犬である本件犬を杉並区役所構内へ連れて行き、そこでひもから放して遊ばせていた。その帰り際に、別紙現場見取図〈A〉付近で右訴外人が本件犬をひもにつなごうとしてしやがんだところ、真近に接近して来た加害車に驚いた右犬が加害車の直前に飛び出し、加害車の前をその進行方向に向つて走り出した。

一方、被告桑原は、加害車を運転して青梅街道から本件道路に入り、別紙現場見取図〈A〉付近(ポールの内側)にいる前記訴外人とその足下にいる本件犬を認めたが、そのままゆつくりと進行し、〈A〉付近に至つた際に右訴外人が犬をつかまえるためにしやがむのを認めたがそのまま進行し、〈ロ〉附近で左折しようとして軽くブルーキを踏んだが、左折できないことがわかつたため、止まることなくさらに前進したところ、〈×〉付近で走つていた本件犬を轢過した。同被告は、〈A〉付近に本件犬を認めたのち、前方を注意してはいたが、加害車の前方を走つている犬には全く気付かなかつた。なお、本件道路の青梅街道寄り入口から〈A〉まで四〇米とは離れていず、〈A〉から〈×〉まで六〇米位である。

被告桑原本人尋問の結果には、別紙現場見取図〈イ〉付近で、前方から歩いて来た人の通過を待つため一時停止したが、その時訴外前田進一は加害車の左側面から三〇ないし四〇糎位のところに居たとの部分があるが、右側通行して来る人の通過を待つにしては、右訴外人との距離が接近しすぎており、また仮に通行人が左側を歩行していたものとすれば、道路幅からして一時停止するまでの必要があるとは思われず、いずれにせよいかにも不自然で措信しがたい。また、証人前田進一の証言には、犬が加害車の前を走り出したので、被告桑原に「止まれ」と声をかけたところ別紙現場見取図〈ロ〉付近で一〇秒ないし一五秒止まつて再び走り出したが、その際、犬が加害車の三ないし五米前方を走つており、加害車の一〇米位後方から訴外前田進一が追いかけていたとの部分があるが、加害車の後方から来る同訴外人に加害車の前方何米位の位置に犬がいたかということが適確に把握できるものとは思われないこと、および〔証拠略〕に徴して、右証言部分をたやすく措信することはできない。さらに、〔証拠略〕には、加害車がかなりの速度で走行して来て犬を轢過したとの部分があるが、同証言中には、加害車は犬をひいた瞬間その地点で止まつたように思うとの部分があることおよび被告桑原本人尋問の結果に徴してたやすく措信しがたい。他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。

原告は、被告桑原には前方不注視の過失があつた旨主張するが、同被告が前方注視を怠つたことを認めるに足りる直接の証拠はなく、また前認定の事実だけでは、本件犬が走り出したのちは、加害車の死角に入つて同被告からは見えなかつた可能性があつて、同被告が前方を注視しておれば犬を発見できたものとまで推認することはできず、他に右事実を推認する事情を認めるに足りる証拠はない。また原告は、同被告が徐行ないし一時停止の義務を怠つた旨主張するところ、本件犬が走り出したのち、同被告が犬を認めていない以上、同被告に右注意義務を課することはできない。問題は、同被告が青梅街道から本件道路に入つてから別紙現場見取図〈A〉付近に至るまでの間に、同被告に右注意義務違反が認められるかどうかである。前認定の事実によれば、同被告が本件道路に加害車を進入させてからは、ゆつくりと進行していたので同被告は徐行していたものと認められる。そして、本件道路に進入したのち本件犬を見た際に、それが本件道路に飛び出して来そうな様子をしていたものと認めるに足りる証拠はない。また同図〈A〉付近に至つた際には、訴外前田進一が本件犬を抱き上げるためしやがむのを見ているのであるから、本件犬の大きさおよびそれが同訴外人の足下にいたことを考えると、同訴外人がこれを容易につかまえられるであろうと予想することができるのであつて、被告桑原が一時停止してこれを確認しなかつたからといつて一概に責めることはできない。証人前田進一の証言には、本件犬が加害車の直前に走り出たのち、同被告に対して「止まれ」と声をかけたとの部分があるが、仮にそのとおりとしても、〔証拠略〕によれば、本件事故当時同被告が加害車の窓を締め切つていたことが認められるのであつて、訴外前田進一の声が果して同被告に通じたかどうかは疑わしく、同被告本人尋問の結果の、本件犬をみてから轢過するまでの間人の声を聞いていないとの部分を排斥して、同被告が右訴外人の声を聞いたことを認定するに足りる証拠はない。以上の事情を総合して考えると、同被告に一時停止義務違反の過失があるということもできない。

本件においては、被害に遭つたものが犬であるという特殊事情もあり、証拠上事故態様、とりわけ距離関係について信頼すべきものがなく、他に被告桑原に過失があつたことを推認する事情を認めるに足りる証拠はない。

三  結論

以上述べたところによれば、被告桑原に過失があつたものということはできないので、原告のその余の主張について判断するまでもなく、原告の被告らに対する本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判断する。

(裁判官 瀬戸正義)

別紙 現場見取図

〈省略〉

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